長いようで早かったような。
どうも、なごみ戦士です。
今日はお母さんの十三回忌でした。
週末は雪が降ると予報されておりましたが、晴れてよかったです。
ものすごく風強くて寒かったけれど💦
母は晴れ女なので、家族行事の日は大体晴れます。
流石お母さん。相変わらずの晴れ女ぶりです。
久しぶりにスーツに袖を通しました。
…うん。着慣れてないので、やっぱり似合っておりませんでした😅
スーツの似合う格好いい大人の女性に憧れますね。
今回は私達家族と祖父母だけの小さいものです。
十三回忌ともなると本当に身内だけになりますよね。
正月に会ってはいますが、二人とも元気そうでなにより。これからも、おじいちゃんおばあちゃん長生きしてね。
お母さんが亡くなってから、自分の周りにいる人達は当たり前に居てくれる存在なんかじゃないんだなと知って、それからはその人が生きていてくれるだけで尊いことなんだなと思うようになりました。
そういう有り難みみたいなものが、日常を過ごしていると忘れそうになるから、この十三回忌で改めて思い出せてよかったです。
亡くなってもなお、お母さんは私に良いも悪いも色々なことを教えてくれています。
多分きっと、これからも。
少し話は変わりますが、お父さんやおばあちゃんは、よくお母さんのことを「いい人」としみじみ語っています。
私は毎回その話を聞くと素直にはうなずけません。
確かに周りを気遣う優しい所があったと思う。
「いい人」であったことに否定はしない。
けれど、娘として母を近くで見ていたから、時として自分勝手だったり、人間らしい醜さや暗い感情だって持っていたように感じています。
母である前に1人の人間でした。
周りを想ってそれらを我慢したり見せないようにしていたことは間違いなく「いい人」であるけれど、それがお母さんの性格もあると思うけれど。
お母さんが周りを想うがゆえの忍耐や努力を、「いい人」という言葉だけで片付けてほしくないと思いました。
多分、「いい人」であろうと頑張っていた。
そもそもの性格であったのなら、努力なんて必要あるのだろうか。
やっぱり葛藤や不満だってあったんじゃないかな。
今はそう感じています。
母のすごいところ、綺麗なところだけを神聖視して「いい人」だったなんて思い出話はしたくない。
人間らしい部分もあった、頑張り屋の人だった。
15年間育ててくれた感謝と、「いい人・いい母」であろうと努力していたお母さんに労いを。
もしも天国があるのなら、周りの評価なんて忘れて
ゆっくりと気ままにお過ごしください。
不肖の娘より。